大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大津地方裁判所 平成2年(ワ)427号 判決 1997年1月31日

原告

今井亘

被告

西川物産株式会社

ほか二名

主文

一  被告らは、各自、原告に対し、金三一六万円及び右各金員に対する平成二年九月一九日から支払い済まで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告の被告らに対するその余の各請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用はこれを二分し、その一を原告の負担とし、その余を被告らの負担とする。

四  この判決一項は仮に執行することができる。

事実及び理由

第一当事者の求めた裁判

一  原告

1  被告らは、原告に対し、各自、七五〇万円及びこれに対する平成二年九月一九日から支払い済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  被告ら

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二事案の概要

一  本件は、被告山中浩幸(以下、「被告山中」という。)が被告西川物産株式会社(以下「被告会社」という。)保有の加害車を運転中、前方注視義務を怠つた過失により、信号で停止している原告運転のタクシーに追突する交通事故が発生したが、原告は右追突事故により負傷した結果、示談後に、耳鳴り、感音性難聴の後遺障害の発生が確認されたと主張して、右被告らに対しては、不法行為責任又は保有者責任に基づいて、また、被告会社との間で自動車損害賠償保険契約を締結している被告日本火災海上保険株式会社(以下、「被告保険会社」という。)に対しては、自動車損害賠償保障法一六条(被害者による直接請求)に基づいて、右後遺症による損害七五〇万円の賠償又は支払いを求めた事案である。

二  争いのない事実及び基本的な事実関係

1  原告は、琵琶湖タクシーに一三年間、次いで、大津タクシーに勤務するタクシー運転手であつて、本件事故当時も大津タクシーに勤務していた。

被告山中は被告会社の従業員であるが、被告山中は被告会社保有の加害車を運転中、次の交通事故(以下「本件事故」という。)を起こした。

(1) 日時 昭和六一年二月四日午後二時ころ

(2) 場所 大津市本堅田五丁目二番一一号地先 国道一六一号線

(3) 被害者 原告(昭和九年七月二七日生、事故当時五一歳)

(4) 加害車 被告山中が運転する被告会社所有の普通貨物自動車マツダ・ボンゴ(滋四四ま一六七)

被害車 原告運転のタクシー(滋八八い三〇九七)

(5) 事故の態様 被告山中が前方注視義務を怠り、信号待ちのため停止していた原告(昭和九年七月二七日生、当時五一歳)のタクシーに追突し、頚椎・腰椎捻挫の傷害を負わせた(事故の態様につき、被告会社及び同山中との間では争いがなく、被告保険会社との間で、甲一号証、原告本人、被告山中の各本人尋問の結果)。

2  被告山中は、時速約三〇キロメートルで進行中、約一一・五メートル前方に停止中のタクシーを発見し、急ブレーキを踏んだが間にあわず殆ど同速度のまま追突したもので、そのため被害車は前方に約二・六メートル押し出され、原告は頚に強いシヨツクを受けた、被害車の後部バンパーは同程度凹損し、右テールランプが割れ、同乗していた原告の妻今井綾子も軽い怪我をした。加害車も前部バンパーに二、三センチメートルの深さの凹損が生じた(原告本人尋問の結果、被告山中本人尋問の結果、乙一四、一五号証、一九号証)。

3  被告山中は、本件事故により、昭和六一年三月一九日に略式起訴され、業務上過失傷害罪により罰金刑を受けた(乙一三号証)。

4  被告保険会社は、本件事故当時、被告会社との間で、本件加害車について自動車損害賠償保険契約を締結していた。

5  原告は、本件事故当日、山田整形外科の診察を受けて、頚椎捻挫、腰椎捻挫と診断され、通院治療を受けていたところ、昭和六一年八月二六日、被告会社と同山中との間で、「原告の頚椎捻挫、腰椎捻挫に対する損害賠償として、同被告らにおいて昭和六一年七月三一日までの治療被告を全額負担し、かつ、既払額のほか一〇〇万円の損害賠償金を支払う。後日、医師の診断により、本件事故に起因する後遺障害の発生が確認された場合は別途協議する。」旨の示談を交わした。

6  原告の頚椎捻挫、腰椎捻挫は、昭和六二年五月三〇日に症状が固定した(甲七号証)。

7  原告は、5項の示談後、昭和六二年一〇月までに二回、耳鳴りの相談で山田整形外科に行き(甲二号証)、次いで同月七日に、滋賀医科大学医学部附属病院(以下、「滋賀医科大」という。)で、「耳鳴症、難聴」と診断されて通院治療を受け始め(甲三号証)、昭和六二年一二月九日の時点でも、同病院で、「両感音難聴、耳鳴証」の診断を受けて通院治療を続けており(甲四号証)、昭和六三年二月一七日の時点でも「両感音難聴」の診断を受けており、同年四月一八日、耳鳴症の症状が固定した(甲八号証)。

8  鞭打ち症の示す臨床症状について

鞭打ち損傷症は、自動車衝突、特に、追突事故による場合、運転者の躯幹部は急に前方へ押し出されるが、頚部が急激に後屈し、続いて反動で前屈する。頭部打撲がみられず追突事故によつて障害を生じるに至つた症例(鞭打ち損傷症が示す臨床症状)は、頭痛、眩暈、頚部痛、平衡障害、耳鳴り、難聴等多彩である。これらの症状は、前期には、頚部痛症候群、頭痛症候群等、中期には、眩暈症候群等、後期には、平衡障害症候群等(耳石障害等)というものである。眩暈、平衡障害は中期ないし晩期にあらわれ、しかも、最も頑固に続く症状のひとつである(弁論の全趣旨)。

三  争点

1  示談から相当期間経過後に治療を受けた耳鳴り、感音性難聴と本件事故との相当因果関係の有無

(原告の主張)

原告は、昭和六一年二月四日の本件事故により頚椎捻挫、腰椎捻挫の傷害(いわゆる鞭打ち症)の傷害を受け、前記示談前後から、頚を捻ると痛みを感じ、耳鳴りが強いという自覚症状を訴え、昭和六一年七月には補聴器を購入して使用しており、二項7の診断・治療経過のとおり、眩暈、耳鳴りを訴えて治療相談をし、耳鳴り症、難聴又は両感音性難聴と診断され、昭和六二年一〇月七日から昭和六三年四月一八日まで通院治療を受けるに至つた。すなわち、本件事故による頚椎捻挫、腰椎捻挫症候群から眩暈・耳鳴り症状が発生し、更に難聴症状の発現へと辿つたもので、これが本件事故との間に相当因果関係があることは明白である。

もつとも、原告が本件事故当日から山田整形外科で頚椎捻挫、腰椎捻挫の治療を経た後、滋賀医科大で専門的に耳鳴りの治療を受けるまで約一年数か月経過しているが、外傷性頚部症候群(特に頚椎捻挫)を受けると、相当期間経過後においても眩暈が発生することは医学的に検証されている上、原告は本件事故後の初期段階或いは治療の過程で眩暈を主訴しており、五か月後には補聴器の使用を始めており、勤務事情又は生活上の理由でその間耳鼻咽喉科の治療を受けることができなかつただけである。

(被告会社及び同山中の主張)

一般論としては、交通事故により難聴が発生することはあり得る。しかし、本件事故の直後から難聴が始まつたのならば、もつと早い時期に耳鼻咽喉科へ通う筈であるし、前記示談のときにその旨主張し、高額の補聴器代の賠償も求めていた筈である。また、原告が耳鳴り又は感音難聴の診断を受けて治療を受け始めたのは、本件事故から一年八か月も経過した後であるが、そのころに難聴が発現したのなら、あまりにも時期がずれており、右症状は本件事故とは相当因果関係がないというべきである。

そもそも、両感音難聴の発生は様々な原因が考えられるが、本件事故のような軽微な事故によつて発生するとは考えられない。

仮に、鞭打ち症によつて難聴になつたとしても、鞭打ち症の回復と共に改善するのが一般で、本件のような憎悪傾向になるものとは考え難い。

なお、原告には、昭和五九年八月まで勤めていたびわこタクシーにおいて、勤務中原告の耳が聞こえにくいことでトラブルがあり、普段からも耳が遠い状況にあつた。したがつて、仮に、原告に高度難聴があるとしても、本件交通事故の前から発現していたか、或いは、本件事故後に発生したとしても、その前から別原因に基づくものと考えるべきである。

(被保険会社)

まず、他覚的聴力検査が施行されていない本件について、原告が主張するような高度な聴力障害が存在するかどうか疑問である。

次に、原告主張の高度難聴は非常に稀な両側高度感音性難聴であるが、原告の場合両側側頭骨骨折の傷害を受けていないし、骨折が生じない程度の外力が加わつて内耳震盪が生じた場合に発生する年齢相応以上の感音性難聴が発生したどうかも、本件事故前の聴力検査がないため不明である。これらの事実に加え、本件事故が軽微であること、原告が耳科治療に至る経過の不自然さ、本件事故前にも乗客からの苦情があつたことを総合すると、原告主張の両側感音難聴と本件事故との間には、相当因果関係は存在しないというべきである。

2  損害額

(原告らの主張)

原告が本件事故による耳鳴り及び感音性難聴(平均七〇デシベル)の後遺障害により被つた損害は、自賠責保険の後遺障害別等級表・労働能力喪失率に照らし、一〇級の四、九級の七のいずれにも該当し、等級併合により八級に該当するので、損害額は七五〇万円である。

(被告保険会社)

仮に、原告の難聴等の後遺障害が本件事故と相当因果関係があるとしても、原告主張の一〇級の四、九級の七は同じ系列の障害であるから、自賠責保険における併合の適用はなく、高い方の九級の七の認定になり、その損害額は、本件事故発生当時に適用された自賠責法施行令の保険金額である五七二万円である。

第三証拠

本件記録中の証拠関係目録記載のとおりであるから、これを引用する。

第四当裁判所の判断

一  争点1(示談から相当期間経過後に治療を受けた耳鳴り、感音性難聴と本件事故との相当因果関係の有無)について

1  第二項二の各事実、甲二、三後、四号証の一ないし三、五号証、六号証の一、二、七ないし一〇号証、乙一ないし一二号証、二一ないし二五号証、二六号証の一、二、二七ないし三七号証、三八ないし四二号証の各一、二、四三ないし五六号証、五七号証の一、二、五八号証の一ないし一二、五九号証の一、二、六一ないし六三号証、六四号証の一ないし一八、六七ないし六九号証、丙二ないし九号証、証人川北誠の証言、原告本人尋問の結果、被告山中の本人尋問の結果及び鑑定人肥塚泉の鑑定の結果によれば、以下の事実が認められる。

(一) 原告は、本件事故前に、耳鳴りがしたことはなく、タクシー運転手をしていて乗客から言われた行先が聞こえなかつたり等のトラブルは後記2のとおり一回しかなかつた。

(二) 原告は、昭和六一年二月四日の本件事故により、頚を吊つたような強いシヨツクを受け、耳をバーと叩く位に耳鳴りがして、事故当日山田整形外科の診察を受けたところ、頚椎捻挫、腰椎捻挫と診断され、同年七月五日まで通院治療を受け(実質通院日数八八日)、昭和六二年五月三〇日に症状が固定したが、その時点で、「頚を捩じると頚が痛い。前、後屈で痛い。右中指、環指がしびれる。耳鳴りが強い。体が疲れやすい。」という自覚症状があり、他覚症状・検査結果として、「頚部の運動に際して、頚部痛を認める。両上肢腱反射は右正常、左正常、握力は四一・〇キログラム、三九・五キログラム、頚部、肩に圧力痛を認める。右上肢の具合が悪い。」と診断されており、「この症状は今後も続くと思われる。」というものであつた(甲七号証)。

(三) 原告は、本件事故後耳が少しずつ聞こえにくくなり、被告会社、同山中との間で示談を締結した昭和六一年八月二六日より前の六一年七月一四日に、補聴器を自費で購入して、使用し始めた(丙二号証)。

(四) 原告は、示談のときに、被告保険会社の係員川北に対し、「耳鳴り」を訴えており、同係員は事故との相当因果関係がわからないため、医師の診断を受けて診断書を提出するように指示し、示談書(甲一号証)にも「示談後に後遺症が確認された場合には別途協議をする。」旨を記載した。

(五) 原告は、頚椎捻挫、腰椎捻挫が昭和六二年五月三〇日に症状固定した後も、耳鳴り、眩暈のことで同年一〇月までに二回、山田整形外科に相談している(甲二号証)。

(六) そこで、山田整形外科の山田忠尚医師は、耳鼻科は専門外であるため、原告に滋賀医科大の治療を受けてもらうことにし、昭和六二年一〇月五日付け滋賀医科大への紹介状(乙四四号証)を作成し、「六一年二月四日鞭打ちと腰椎捻挫で六一年七月四日まで通院治療しました。耳鳴りが続いており、貴科受診を希望されています。」と記載した。

(七) 原告は、昭和六二年一〇月七日に耳鳴り、眩暈を訴えて滋賀医科大の初診を受け、「耳鳴症、難聴」の診断により、平成元年二月七日まで(実通院日数三〇日)通院治療を受け、昭和六三年四月一八日に症状が固定した(甲三号証、八号証、乙四七号証)。

(八) 同医科大では、原告の症状について、「交通事故前は、難聴はなかつた」という主訴に基づき、医学的見地から、「交通事故以外の原因による症状発生」の可能性を「既往症に基づく症状であるかを診断する消去法」により診断している(乙二六の一)。それによれば、原告の症状を引き起こすことの有り得る既往病である糖尿病、結核、軽度の高血圧(乙九五ないし九七号証)につき診断し、これらをすべてマイナス、すなわち、原告の症状の原因ではないと診断して原因から消去し、かつ、薬剤アレルギーについても同じようにマイナスと診断して原因から消去している。

(九) 同医科大発行の山田整形外科宛て昭和六二年一〇月七日付け「紹介患者診療結果報告書」(乙四五号証)においても「オウジオグラムにて、両感音性難聴損傷を認めます。耳鳴りについては、これに伴うものと考えますが、その原因については、患者さんによれば交通事故後に起こつたといわれますので、外傷性の可能性が最も高いと推察されます。しかし、耳鳴りの因果関係を他覚的に断定することは困難であると申しましたところ、これ以上の検査を拒否されました。」と記載されているように、消去法を用いて既往症原因を消去し、本件交通事故を原因とすることを推察している。

(一〇) 同医科大の昭和六二年一二月九日付け診断書(甲四号証の一ないし三)によれば、傷病名「両感音難聴、耳鳴証」で診断を受け、同診断書に添付されている聴力図(昭和六二年二月一七日検査、同年一〇月七日検査)によれば、「感音性難聴」を示している。

同医科大の昭和六三年二月一七日付け診断書(甲五号証)によれば、傷病名「両感音性難聴」と診断され、「現在両感音難聴により通院中であり、耳鳴りも同時に治療している。通院は今後半年間の予定」と記載されており、同診断書添付の聴力図においても、「感音性難聴」を示している。

同医科大の昭和六三年二月二三日付け診断書(甲六号証の一)によれば、「両感音難聴、耳鳴り」と診断され、同傷病名で「昭和六二年一〇月七日初診。聴力検査の結果、両側約六〇デシベルの感音難聴を認めた。耳鳴りはこの両側感音難聴に由来するものと考える。」と診断された。

同医科大の昭和六三年四月一一日付け診断書(乙二五号証)によれば、「聴力検査では、右平均六七デシベル、左平均七二デシベルの両側感音性難聴がみられ、今後も外来通院治療を必要とする。」と診断されている。

(一一) 同医科大の平成元年三月七日付け「自動車損害賠償責任保険後遺障害診断書(甲八号証、乙四七号証)によれば、傷病名「耳鳴証」、自覚症状として「両側耳鳴・難聴」、検査結果として、「聴力検査では左右耳とも平均七〇デシベル前後の感音性難聴、耳鳴検査では左右とも三KHZ―四KHZ、右四デシベル、左七デシベルの雑音性耳鳴り、耳X―P正常」というもので、昭和六三年四月一八日に症状固定した。

また、同医科大の平成元年四月二四日付け診断書(甲三号証)によれば、「聴力検査では聴力は不変。両耳鳴りも不変であるが、今後も外科治療は必要と考えます。」と記載されている。

(一二) 原告は、平成四年七月一四日の本人尋問の時点における耳の状況について、二四時間勤務で一四時間以上走つて疲れてくると、耳鳴りがして聞こえにくくなると述べ、仕事を早く切り上げると四二万円の水揚げが減るので、その分は自分が負担していると供述している。

(一三) ところで、本件の鑑定人肥塚泉医師は、大要、以下のとおり鑑定している。

「<1> 両側高度感音性難聴はきわめて稀である。頭蓋骨骨折にともなう両側側頭骨々折により、内耳が損傷を受けた場合に、両側高度感音性難聴が生じることがある。本件事故では側頭骨々折の傷害が発生していないので、常識的には、このような高度感音性難聴が生じるとは考えにくい。骨折が生じない程度の外力が加わつた場合にも、内耳震盪と呼ばれる病態が発生し、これにより一過性の眩暈、難聴を来たすことがある。また、糖尿病や高脂血症、結核の治療歴がある場合、年齢相応以上の感音性難聴が生じることがある。本件のような両側感音性難聴を示す症例については、いわゆる機能性難聴と呼ばれる、心因性に基づく難聴の存在を念頭に置くことが肝要である。

<2> 相当因果関係の有無については、原告の両側高度感音性難聴自体が非常に稀である上、事故前の聴力検査もされていないので、本件事故と直接関連づけることは非常に困難である。他覚的に評価するには、聴性脳幹反応等の検査が用いられるが、事故前に難聴が存在していれば、これにより正確な聴力を知ることは不可能であつて、医学的立証を行うことは困難と思われる。

<3> 現在の耳科学的検査結果については、純音聴力検査の結果は両側高度感音性難聴である。一般に、高度難聴を有する症例では、骨伝導により伝わる自分の声によるフイードバツクがなくなるために、会話に際して大声でしやべることが多い。特に、急激に発症した例ではこの傾向が顕著である。今回の診察においては、大声でしやべる傾向は認められなかつた。

<4> 診察時(平成七年一月一二日)の応答で、鑑定人がマスクをかけたまま話しかけたにもかかわらず、比較的正確な反答が得られた。難聴が存在するとしても、標準純音聴力検査の結果よりも軽症ではないかという印象を受けた。」

<5> 現在、原告には耳科学上の器質的病変があるか否かについては、他覚的聴力検査施行後でないと結論を得ることは困難である。左耳については五〇〇及び一〇〇〇HZで、聴力レベル三五デシベル程度、右耳については六〇デシベル程度の難聴の存在が類推される。」

2  これに対し、被告会社及び同山中は、「原告が従前勤めていた琵琶湖タクシーで、耳が聞こえにくいことから乗客とトラブルがあつたので、仮に高度難聴があつても本件事故以外の原因によるものである。」旨主張する。

証人松林庄二の証言によれば、原告は昭和四七年二月から昭和五九年八月まで琵琶湖タクシーに勤務したが、その勤務期間中、乗客が行先を言つても何度となく聴き直すという苦情が一回あつたこと、指導課長の松林が原告本人に確かめると、はつきり聞こえなかつた等と弁解したので、耳が遠いような印象を受けたが、原告自身は耳が遠いとはつきり言わなかつたこと、同課長は会社内での普段の応対振りからも一寸耳が遠いという感じをもつたこと、しかし、乗客が行先を言つて返事をしない運転手は沢山いること、乗客とのトラブルはその一回だけであること、が認められる。

右事実からすると、普段の勤務中、乗客とトラブルが日常的に発生したわけでもないし、耳が遠いのではないかという松林課長の印象も主観的なもので、それが難聴、まして両側高度感音性難聴質によるものか否かは必ずしも明確でなく、原告が本件事故前に同傷病に罹患していたと認めるまでには至らず、右主張は採用できない。

3  次に、被告会社及び山中は、「本件事故のような軽微な事故によつて両側感音性難聴が発生するとは考えられない。」とか、「仮に、鞭打ち症によつて難聴が発生したとしても、鞭打ち症の回復とともに改善するのが一般である。」旨主張する。

第二項二2の事実に徴すると、本件事故が軽微であつたとは認め難い上、弁論の全趣旨によれば、損傷の程度は、加わつた力の大きさに必ずしも比例しないことが医学上明らかにされているので、右前段の主張は採用できない。しかし、後段の主張については、前記鑑定の結果によれば、原告は鑑定時(平成七年一月一二日)においては相当聴力が回復しているものと窺われるので、その限りでは理由がある。

4  次に、被告会社及び同山中は、「原告が難聴の治療を受け始めたのは本件事故の一年八か月後であるところ、本件事故の直後から難聴が発生したのなら、早い時期に治療を受ける筈であるし、示談のときにも補聴器代の賠償を求めた筈である。難聴が治療を受けるころに発生したのであれば本件事故と相当因果関係はない。」旨主張する。

しかし、1の認定事実に照らすと、原告は本件事故後間もなく耳鳴りの症状を訴えており、五か月後に補聴器を購入し、昭和六一年八月二六日の示談のときにも、耳鳴りを訴えていること、翌昭和六二年一〇月までに二回山田整形外科に眩暈、耳鳴りのことで相談に行つたこと、山田医師が滋賀医科大宛に「耳鳴りが続いている。」旨の昭和六二年一〇月五日付け紹介状を作成していること、また、原告本人尋問の結果によれば、原告が本件事故後一年八か月後まで耳鳴り、難聴の治療を受けなかつたのは、仕事の都合、費用のことや適切な医師を探すためであつたことが認められ、以上の事実によれば、原告は本件事故後間もなく耳鳴り又は高度難聴が発生していたものと認められる。

もつとも、丙二号証、原告本人尋問の結果及び証人川北誠の証言によれば、原告は、示談のときに、補聴器代七万八〇〇〇円の賠償を請求していないことが認められるけれども、原告の耳鳴りの訴えに対し、「医師の診断により後遺症の発生が確認された場合には別途協議する。」旨の条項を定めて示談書が交わされた経緯にかんがみると、補聴器代を請求しなかつたことから、直ちに難聴未発生ということはできない。

したがつて、同被告らの右主張も採用できない。

5  一方、被告保険会社は、前提問題として、「他覚的聴力検査が施行されていないので、原告に高度な聴力障害があるか否か疑問である。」旨指摘する。本件事故の前後を通じ、原告について他覚的聴力検査が施行されていないことは事実であるが、1の認定にかかる治療経過に照らすと、原告は滋賀医科大で実際に高感音性難聴の診断を受けて通院治療を長期間受けているのであるから、右指摘は当たらない。

6  次に、被告保険会社は、鑑定の結果を踏まえ、「<1> 聴力検査がないので、年齢相応以上の感音性難聴が発生したか不明であり、<2> 本件事故前に乗客とトラブルがあつたこと、本件事故の態様が軽微であること、難聴の治療を受けるまでの経過の不自然さを総合すると、相当因果関係を否定すべきである。」旨主張する。

しかし、<2>の指摘が当たらないことは2ないし4で検討したとおりである上、<1>それ自体も、要するに分からないという結論で、年齢相応以上の高度難聴の発生を否定も肯定もしていないものである。また、前記鑑定の結果によれば、聴力検査がないため、骨折が生じない程度の外力が加わつた場合に発生する内耳脳震盪により、一過性の眩暈や難聴を来すことがあるが、その場合には、結核、糖尿病等との関係を考慮する必要があることが認められるが、1の認定事実に徴すると、原告を実際に診断し治療を施した滋賀医科大において、原告の既往歴である結核、糖尿病、高血圧(軽度)と難聴との関係を消去法を用いて消去した後、本件事故後に両感音性難聴が発生したという原告の主訴に基づいて、外傷性(本件事故による鞭打ち症)の可能性が最も高いと推察している(乙二六号証の一、四五号証)こと、この点に加え、鑑定の結果が、原告の難聴と本件事故との間の相当因果関係を他覚的に肯定するのは医学上困難としているのは、原告に対する聴力検査が施行されていないため医学的に究明できないというもので、鑑定人の立場としては止むを得ないというべく、法律上の相当因果関係の有無については別途に考察するのが適切である。

7  以上において検討したところ(本件事故の態様、原告の負傷部位・程度、難聴を訴えた時期、難聴に対する治療を受けるに至つた経過、本件事故前の状態、既往歴等)をまとめると、原告は本件事故により頚部捻挫、腰椎捻挫の傷害を被り、これにともなう外傷性頚部症候群の愁訴としての「眩暈、耳鳴り、難聴」の症状を呈し、更に難聴症状の発現へと辿つたものと認められるから、原告の両側感心音性質難聴は本件事故によつて発生したものと認めるのが相当である。

二  争点2(損害額)について

一項の認定事実(一項1(一三))によれば、原告の両側高感音難聴は、症状が固定した昭和六三年四月一八日よりも、平成七年一月の鑑定時の方が相当聴力が回復しているものと認められるので、自賠責保険の後遺症障害別等級表一一級の五に該当すると認めるのが相当である。そして、本件に現れた諸般の事情に照らすと、原告の右後遺障害による労働能力喪失率、慰謝料等の損害の総計は三一六万円と認めるのが相当である。

してみると、被告らは原告に対し、不法行為責任、保有者責任又は自動車損害賠償保障法一六条に基づいて、各自、三一六万円及びこれに対する本訴訟提起の日である平成二年九月一九日から支払い済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。

三  結論

以上によれば、原告らの本件各請求は右認定の限度で理由があるのでこれらを認容することとし、その余は理由がないのでこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九二条、九三条、八九条を、仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 鏑木重明)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例